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新刊「森を見る力」(晶文社) 書評

橘川幸夫の新刊「森を見る力」(晶文社)の書評を順次公開しています。

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主催者情報


森を見る力 書評一覧

林 光 (ナレッジ・ファクトリー代表)

橘川幸夫さんが新しい本を出す。「森を見る力」という本だ。この中で橘川さんは未来学者であった故林雄二郎の話を折に触れてしている。そもそも書名の「森を見る力」という言葉だって、林とともに行っていた「森を見る会」が元になっていることが語られている。

橘川さんと林の共通点は、「世の中の常識に捉われない」「当たり前を盲信しない」ということだ。本書では「教育」「組織」「企業」「メディア」「音楽」「インターネット」「地域」など全方向の評論を繰り広げているが、そこに通奏低音として流れているのは、社会で「当たり前」とされている意味、あり方、考え方には捉われない、真に自由な考え方から生まれてくる鋭い視点とユニークな発想、論理付けである。

中に「支援活動はしません」という社会活動家から見ると石を投げられそうな一文がある。それは「困っている人を助けるのが苦手だ」という文章から始まる。3.11以後、それこそ世界中の行動の半数は「困っている人を助ける」という行動ではないかという気がするぐらい「助け」が目立つ。しかし、橘川さんは「困っている人を助ける」ことより、そうした「困ったこと」を生まない社会を構築する方が重要だし、その構造変化を、定着させて「社会の仕組みを変えていくこと」をしたい、という。たしかにそうだ。そのほうがちょっと広い視野で考えれば当然のことだ。しかし、いまのご時世に「困っている人を助けるのが苦手」と言い切るのには勇気がいる。まさに社会の風潮に棹さしても、当たり前に与せず、本当の真理を真ん中に据えている。

林雄二郎の身近にいたものとして、この二人に共通する「捉われない自由さ」ゆえに、時々私は橘川さんと話していると「父と話している」気にさせられることがある。林がついに成し得なかった最後のテーマ、「社会的ソフトウェアとは何か」を完成させることを、これからの共通のテーマとして考えているが、本書は、そのスタート地点であるように思われる。

●林光さんは、林雄二郎さんの長男で、元博報堂生活総研の所長でした。橘川は雄二郎さんの紹介で光さんと出会い、長いお付き合いをさせていただいております。(橘川)


熊野英介 (アミタグループ代表、公益財団法人信頼資本財団理事長)

作者の橘川幸夫氏に「人がクリエイティブになるにはどうしたらいいのでしょうね?」と質問したら「真面目に寂しくなることだね。」と即答であった。

この「森を見る力」に貫かれている精神は、社会を俯瞰して見るだけでなく、愛おしくもあり、哀れでもあり、儚くもあり、切ない人間に対する賛歌である。

物の力から情報の力の時代を作者自ら先頭になって作ってきた、そういう者だけに備わった、世の中を多視座で見る能力だと感じた。

作者は「個人史と人類史という2つの時間軸が重なったレイヤーの上で生きている。」と言う。人類史、地球史、生態史という大きな森を見つつも、その森に生息するバクテリアの世界、昆虫の世界、下草の世界のような人間の個人の視野でその両儀を揺らしながら、時の流れの摂理を読み解いて行く。

「集団自殺をする若者たち。社会性を放棄して引きこもる若者たち。彼らに対して、精神的弱さを指摘することはたやすい。しかし、それは本当に『弱い』のか。既存の硬直化した社会システムに何の疑いものなく迎合してしまう若者たちが、本当に『強い』のか。彼らもまた孤独な戦いを強いられているのだと思う。今の日本の社会に生きる、すべての人が、人間にとっての、本当の『強さ』とは何かを問いかける時期に入ってきているのだと思う。」と作者は、無機質な近代システムで奴隷化した人間に警笛を鳴らす。

動き続ける環境と共生しながら関係を作って行く、そんな儚い強さを持つ人間への応援歌なのである。


宮崎要輔 (未来フェス実行委員会)

「森を見る力」について

私は「森を見る力」こそ、スポーツ界を牽引しているイチロー選手、本田圭佑選手といった特別な存在の共通項であるように思う。彼らは決してその競技において身体能力がずば抜けて高いわけではない。彼らよりも身体能力が高い選手は今まで日本国内だけでも数多く存在してきている。

それでも彼らがその競技で特別な存在としてなりえたのは「森を見る力」という物事を見る力があり、多くの人が常識や固定概念の枠をつくることでみようとしてこなかった本当の現実をみつめ、突き進む力があったからではないだろうか。

スポーツにかぎらず、どの分野においても何か新しい分野を切り拓き、長く第一線で活躍する人に共通するものこそこの「才能」だと感じている。

本書では「教育」「組織」「企業」「メディア」「音楽」「インターネット」「地域」など全方向の評論を繰り広げているがすべての項目の終着点はつながっている。

そしてその終着点へと、本書を通して私達は「橘川幸夫というタイムマシン」を通じて戦後の色んな景色や時代背景を感じながら時空をこえて冒険することができる。冒険を続けていく中、森を見る力が何なのか、言葉にできなくとも何となくそれが体内へと入っていくようである。

意識から無意識へ、そしてさらに奥の方へ奥の方へとそれは進んでいく。現在では「才能」として特別な個人が持つものになってしまっていた「森を見る力」。

それを本書では個人の成熟への道標として一人一人の読者に届けている。

そこからは大切なことを「才能」という個人レベルのものにしてしまわない社会がみえてくる。

まさしくそれは次なる時代の足音であり、一人一人がより分かり合える社会への一歩である。


加藤スティーブ (編集者)

誰にでも持てる視点

ロッキングオン創刊メンバーの橘川氏は、1970年代から現代まで、時代の最先端を凝視(みつ)め続けてきた。時代の本質を捉える観察力は、ますます磨きがかかってきている。

日々の業務を淡々とこなせば、右肩上がりする時代は20年以上前に終焉し、一人ひとりの「判断力」が必要な時代であることは、間違いないだろう。
「判断力」は、インターネットの中に答えの本質を見つけることは難しく、合理性、効率性のみからでは、決して得られるものではない。

力まず、自分の好きなこと、興味関心があることを入り口にして、社会との関わりを持つ中で鍛えられるのだろうか。

本書を読み始めると、まず、この質問にぶつかる、

自分にとって『森』とは何なのか。
日々の淡々とした仕事・生活は、枝・葉・根であり、
自分は 「どこに」 向かって歩むかの 「どこに」 が『森』であろうか。

橘川氏は、本書の中で『森』を見る力についてやさしいヒントをくれる。

"僕たちひとりひとりが今、持たなければならないと思うのは思想だと思う。僕が言う思想というのは、過去の天才の論理的思惟によって描かれた体系的理論(アルゴリズム)を勉強して、自分の精神にコピーアンドペーストすることではない。今、生きていることの現実を、ほんの少しだけ高い地点から見ることであり、ほんの少しだけ遠い地点から見ることであり、ほんの少しだけ深い地点から見るという、方法論のことである。より高い地点、より遠い地点、より深い地点を探る運動のことである。それは誰にでも持てる。"

ふつうの人が「思想」というと、難しいイメージを持つが、この一節の最後、「それは誰にでも持てる。」と、何ともやさしい勇気が出る言葉ではないか。

混迷する時代の中を、自分の意志で歩みたい「判断力」に磨きを掛けたい人にとっては、最適の一冊だろう。


山下徹 (会社員・リアルテキスト塾 4期生)

「森を見る力」を読んで

橘川さんは、インターネットが影も形もない時代から、投稿だけで作られた雑誌「ポンプ」を創刊する等、絶えず「参加メディア」、「参加型社会」を模索し続けてきた。そして、インターネットが社会のインフラとなった時、橘川さんの「参加型メディア」というコンセプトに触れていた私は「橘川さんが言っていた、参加型メディアとは『インターネット』の事だった」、そう理解した。そして「参加型メディア」をベースにした「参加型社会」に近づいている、そう思った。

本書では、その理解がいかに間違っているかが示される。「私たちの生活から、インターネットを無くすことはもう出来ない。だから、せめて、インターネットを習熟するエネルギーと時間の一部を、インターネットから最も遠い方法論を追求するために使った方がよいのではないか」。橘川さんはそう問いかけるのだ。

橘川さんの名言「信念を持たない奴は嫌いだが、自分の信念を疑わない奴はもっと嫌い」を、試みに、インターネットに当てはめてみるなら「ネットを理解しない奴は嫌いだが、ネットを疑わない奴はもっと嫌い」ということになるかもしれない。ネットの否定ではなく、ネットを体得した上で、それからでないと生まれない本質的な疑問を持つ、それがインターネットから最も遠い方法論を追求するということなのではないか。

この本では、その方法論「森を見る力」によって、戦後社会・メディア・ネット・311以後の社会等が語られる。政治分野ではコミュニティ創設による立候補や、権力奪取に向かわない政党「万年野党」、出版分野では「スタバ本」等、具体的な提案が含まれ、実に示唆に富んでいる。

そして、筆者が(問題に鮮やかに斬り込みつつも)明確な提案には至っていない事柄については、読者への宿題と捉えるべきだ。出されてもいない宿題に着手せよ。